集団生活は社会に出てどのような影響を与えるのか
こんばんは、ネモです。
社会に出て今までやってきた集団生活はどのように活きるのかを考えるために集団生活について書いていきたいと思います。
集団生活とは
多くの人が集まって生活することです。
言葉の通りの意味ですが、集団の意味を理解すると分かりやすいと思います
集団とは
2人以上の共通の目的を持ち、役割分担などしてお互いに目的のために形成する集まりのこと
生きていくという目的のために、お米を作る人がいたり、ニワトリを育てる人がいたり、魚を釣る人がいたりする中で、お互いのものを交換するためにコミュニケーションを取るようになり、集団になったのだと思います。
毎回違う人に話に行くのってなんだか疲れますし、、間違いないはず
貨幣や流通業(商人)の発展で集団が小さくなったと思います。
お米を買うのに畑まで行かずとも、商人に言ってお金を渡せば交換できるので
集団が小さくなっていっている中で、集団生活がどのような場面で意識されているのかを考えていきます。
教育と合わせた集団生活
保育園や幼稚園、小学校は、集団生活における最初のステップだと思います。
限られた領域に同じ年齢の子供たちを集めて、お互いがどのように接しあえばいいのかを学ぶ場所であると思います。
中学校になると、小学校が何校か集まって一つの中学校になっていると思います。
その際に、小学校から同じだった人たちがいるので、全く知らない人たちによるストレスは軽減されると思います。
その中で、新しい人とのコミュニケーションを取る練習ができる場所であると思います。
と書きつつも、全くと言っていいほどコミュニケーションを取らなかった私は客観的に物事を捉えれるようになったのかな、、、なんて
高校になるとほとんどが新しい人なので集団生活における最後の段階であると思います。
中学校から就職する人もいるので中学から上がると、集団生活の最後の段階という表現が正しいですかね。
成長に合わせて集団生活におけるコミュニケーションの取り方を練習できるようになっているのかもしれませんし、単に集めて義務教育だけ受けさせようとしているだけかもしれません。(教師の方は、成長の手助けと思っていることは間違いないはず<小学校の先生から実際に聞いた>)
社会に出ての集団生活
最近では、ゆとり世代のコミュニケーション能力が云々と言っていますが、携帯電話やスマートフォンの普及で実際に対面や言葉で会話することが少なくなっているからあたり前な事です。
便利でストレスの少ない行動をとることは、合理的な判断だと思いますが、相手に合わせる。相手のことを考えることができない人が多いのでコミュニケーション能力が云々と言われているのでしょう。(勝手な予想)
必要とされていることは、どんどん発達していくし、必要ないと思われていることは淘汰されていく。ということから集団生活の形も変わっていくと思います。