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人工知能と人との違いを考える

こんばんは、ネモです。

 

パッとした思い付きですが、人工知能と人との違いを考えてみます。といっても調べて書くわけではないので、古い情報や間違っていることを書いているかもしれません。

 

人工知能

同じものを使えば統一の基準ができる

計算速度が速い

記憶容量が大きい

記録の完全な貯蔵が可能

 

人それぞれに個人差があるので基準が多くなり統一が困難

計算式を考えることができる

人工知能を作れた

記憶の忘却が行われる

 

 

書いてみたもののいまいち人工知能についても、人についても詳しくないという。

 

人工知能は=で繋がらないものは、導き出せないけど人は=で繋がらいものをふとつなげてしまうことがあるくらいですかね。

 

人工知能がブログを書いたら、検索の一番上の記事を丸パクリしているのではないだろうか。。

ブログの書き方を忘れた

こんばんは、ネモです。

 

何かしら記事を書こうとしたら、何も出てこない。

 

どうやってタイトルをつけてどんな感じに肉付けしていったのかもあまり分からないので、昔の記事を見て書いていきたいと思います。

目次

 

10秒で記事を説明

1.自分の気になったことや単語から書きやすいので単語をメモしておくといいです。

2.見出しを目次にできるので、それを利用して記事の流れを軽く説明します。

3.まとめを書き締め括ります。

 

 

1.単語について調べる

気になった単語について調べて、そこから派生する話などを考えます。

どうやった使い方をするのか。

どういう風にするとおぼえやすいのか。など

 

(*´-`)oo(今の私は単語を調べて意味を書いてお終いと、、、

 

2.見出しを作る

見出しでどういった内容であるのかを見れるのは、良いことだと思います。

目次のところで、一通りの流れを説明してくれると、なにかのプレゼンを見ていると分かりやすいと思います。

 

ということで、目次のところに軽い流れを書いておこう。

 

3.まとめをつくる

まとめ方をあまり覚えていませんが、まとめと書いておけば、まとまっていなくても、無理矢理にでも締めれると思います。

 

現状でまとめを書くとすると

単語→見出し→まとめですね。

 

見出しをいくつかつくることで、内容を広げたり、濃くしたりできると思います。

 

 

まとめ

気になったことを見出しにして、それについて書いていき、最後にまとめを書きておけばいいんじゃないかな。

 

と自分のために記事作成方法を書いてみた

 

ブログの書き方を忘れた

こんばんは、ネモです。

 

何かしら記事を書こうとしたら、何も出てこない。

 

どうやってタイトルをつけてどんな感じに肉付けしていったのかもあまり分からないので、昔の記事を見て書いていきたいと思います。

目次

 

10秒で記事を説明

1.自分の気になったことや単語から書きやすいので単語をメモしておくといいです。

2.見出しを目次にできるので、それを利用して記事の流れを軽く説明します。

3.まとめを書き締め括ります。

 

 

1.単語について調べる

気になった単語について調べて、そこから派生する話などを考えます。

どうやった使い方をするのか。

どういう風にするとおぼえやすいのか。など

 

(*´-`)oo(今の私は単語を調べて意味を書いてお終いと、、、

 

2.見出しを作る

見出しでどういった内容であるのかを見れるのは、良いことだと思います。

目次のところで、一通りの流れを説明してくれると、なにかのプレゼンを見ていると分かりやすいと思います。

 

ということで、目次のところに軽い流れを書いておこう。

 

3.まとめをつくる

まとめ方をあまり覚えていませんが、まとめと書いておけば、まとまっていなくても、無理矢理にでも締めれると思います。

 

現状でまとめを書くとすると

単語→見出し→まとめですね。

 

見出しをいくつかつくることで、内容を広げたり、濃くしたりできると思います。

 

 

まとめ

気になったことを見出しにして、それについて書いていき、最後にまとめを書きておけばいいんじゃないかな。

 

と自分のために記事作成方法を書いてみた

 

ブログ毎日更新再開します

こんばんは、ネモです。

 

約2か月前からブログをちょこちょこしか書いていなかったのですが、毎日更新をしていた時の気持ちを思い出したいのか、やることがなくなったからなのか、やりたいことが見つかったのか。

どの理由で書くのはまだわかりませんが、始めることがゴールまでの最初の一歩になることは間違いないのでやっていきます。

ゴールなんて決まっていませんが、、

 

 

疑義とは

疑義(ぎぎ)とは

内容がはっきりしないこと。

何かについて確信がない状態。

疑問に思われる点。

 

あやふやな表現がされている。何か怪しい。明らかにおかしい。といった事を「疑義を抱く」というきれいな言葉にして表現していると思います。

 

 

疑義とは

疑義(ぎぎ)とは

内容がはっきりしないこと。

何かについて確信がない状態。

疑問に思われる点。

 

あやふやな表現がされている。何か怪しい。明らかにおかしい。といった事を「疑義を抱く」というきれいな言葉にして表現していると思います。

 

 

集団生活は社会に出てどのような影響を与えるのか

こんばんは、ネモです。

 

社会に出て今までやってきた集団生活はどのように活きるのかを考えるために集団生活について書いていきたいと思います。

 

 

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集団生活とは

多くの人が集まって生活することです。

 

言葉の通りの意味ですが、集団の意味を理解すると分かりやすいと思います

 

集団とは

2人以上の共通の目的を持ち、役割分担などしてお互いに目的のために形成する集まりのこと

 

生きていくという目的のために、お米を作る人がいたり、ニワトリを育てる人がいたり、魚を釣る人がいたりする中で、お互いのものを交換するためにコミュニケーションを取るようになり、集団になったのだと思います。

毎回違う人に話に行くのってなんだか疲れますし、、間違いないはず

 

貨幣や流通業(商人)の発展で集団が小さくなったと思います。

お米を買うのに畑まで行かずとも、商人に言ってお金を渡せば交換できるので

 

集団が小さくなっていっている中で、集団生活がどのような場面で意識されているのかを考えていきます。

 

教育と合わせた集団生活

保育園や幼稚園、小学校は、集団生活における最初のステップだと思います。

限られた領域に同じ年齢の子供たちを集めて、お互いがどのように接しあえばいいのかを学ぶ場所であると思います。

 

中学校になると、小学校が何校か集まって一つの中学校になっていると思います。

その際に、小学校から同じだった人たちがいるので、全く知らない人たちによるストレスは軽減されると思います。

その中で、新しい人とのコミュニケーションを取る練習ができる場所であると思います。

 

と書きつつも、全くと言っていいほどコミュニケーションを取らなかった私は客観的に物事を捉えれるようになったのかな、、、なんて

 

高校になるとほとんどが新しい人なので集団生活における最後の段階であると思います。

中学校から就職する人もいるので中学から上がると、集団生活の最後の段階という表現が正しいですかね。

 

成長に合わせて集団生活におけるコミュニケーションの取り方を練習できるようになっているのかもしれませんし、単に集めて義務教育だけ受けさせようとしているだけかもしれません。(教師の方は、成長の手助けと思っていることは間違いないはず<小学校の先生から実際に聞いた>)

 

 社会に出ての集団生活

最近では、ゆとり世代のコミュニケーション能力が云々と言っていますが、携帯電話やスマートフォンの普及で実際に対面や言葉で会話することが少なくなっているからあたり前な事です。

便利でストレスの少ない行動をとることは、合理的な判断だと思いますが、相手に合わせる。相手のことを考えることができない人が多いのでコミュニケーション能力が云々と言われているのでしょう。(勝手な予想)

 

必要とされていることは、どんどん発達していくし、必要ないと思われていることは淘汰されていく。ということから集団生活の形も変わっていくと思います。

 

 

3月の振り返り

おはようございます、ネモです。

 

かなり久しぶりに書いているので、分かりやすい文章を書けないと思いますが、3月にブログに対して思ったことを少し書いていきます。

 

1.ブログを書かなくても他にやれることがある

普通に考えればそうなんですけど、ゲームとか時間つぶす方法なんていくらでもあります。

そういった中で、文章を書いていたりするというのは、ゲームをするよりもいいことかな。と思います。

 

ゲームしていてどうやってクリアするのかを考えることはあっても、クリアする方法をほかの人にはどう見られてどう解釈されるだろう?とかは考えないと思います。

 

それを考えると、文章を書くよりも会話をしてどうかを考えればいいかもしれませんが、録音や動画を撮るなりしておかないとどうだったかなんて直ぐに忘れています。

 

といった事から、文章にして見直すほうが断然早いと思います。(自分がだだの文章好き)

 

2.頭の中が整理できる

かなり個人的な感想だと思いますが、書き始めるとパズルのピースが集まっていくように文章を書けることがあります。

それで思い出したかったことを思い出したりします。

 

あとは、ブログを毎日書いていた2月と体調崩してから書けていない3月では、調べていたこととメモを取っていた数が天と地の差ほどありました。

 

3.ボーっとする時間が減る

やりたいことをやっているときと何もやることがないからやっていることでは、圧倒的に楽しさや集中力が違うと思います。

やりたいことは、その他の事情との時間配分を考える必要があり、睡眠時間のギリギリを攻めることもあります。(それを通り過ぎてオールすることが多い私、、、)

 

こうして約1か月ぶりにブログを書いているということは、自分にとって必要な事だとどこかしらで自覚したからでしょう。

 

やっているゲームが同じ風景に見えてつまらない。といった感覚が毎日変わっているはずのリアルでも感じるようになったのは、多分ブログ始める前からだっただろうけど、ブログを書いていないからリアルが毎日同じ風景に見える。ということにしておきます。

 

まとめ

散らばり過ぎててまとめにくいな、、、と思いつつ

「やらないと分からない」

という言葉に限る。

 

大学なんて、授業がどんな感じなのかなんて、授業を受けてみないと分からないし、聞いたところで他人と自分では感じ方が違っているからまさに「やらないと分からない」ということです。